今日はこんな所です

筑紫哲也氏死去。
がん手術直後は顔がふっくらしたように見えたのだが。

自分と他人の自由を尊重する意見に終始し、またストレートな物言いだったために敵を多く作ったが、一視聴者側からすれば「一つの側面」として捉えるには十分なものだったのではないかと思う。実家にいた頃はニュースステーション筑紫哲也NEWS23という流れで、テレビに突っ込みを入れたり共感したりするのが常だったため、氏の死はちょっとした“区切り”を感じるものがある。

そもそも、一キャスターのジャーナリズムを売りにした番組は、そのキャスターが言ってることが100%正しいなんて事はまずありえない、と思った上で見るものだと思う。あくまで一つの意見として視聴者はその中から取捨選択して真意と実態を推測し、初めて「ニュース」として受け入れるべきなのではないかと個人的に思う。新聞と同じで、各々それなりの見解とそれなりの意見がある(または、それで押して行きたい)んだから、そこから個人的に良いと思う部分だけを色々汲み取っていけばいい。個人的にはそれが面倒なので、他と比べればまだ添加物の少ないNHKのニュースを最近良く観る。

これは、ネットにも言える事。発信源の数が少ない情報なら、とりあえず疑って損はない。それを発展させて、少ない情報でクレーマーになったらダメだが、いかんせん一つの事実を伝えようと意気込むチャンネルが多すぎるので、よほどでない限りは一つの情報だけで『事実』と認識してはいけないと思う。個人レベルで発信された情報なら、なおさらである。