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パワプロ30周年。
よくぞここまで続いた、というのと、自分も飽きずによくぞここまで買った。これでもセガハード版は持ち合わせてない(サイトに載せてるのはガイドブックのデータ)ので、フルコンプしているわけではないのだが、セガ版は3本だけのはず(95開幕版、S、DreamCastEdition)なので、ほぼほぼ据置機においてはフルコンプしているはず。携帯機版はもはや追いかける気力もない。とはいえ、約30年間も他のこれといった対抗馬も出ないまま続くとは思いもしなかった。

自分がパワプロに初めて触れたのは’96開幕版なので、個人的にはパワプロ歴は今年で28年。大学時代(2000~2003年度)は金も無かったのでPS2本体も当初手元に無く、当時本筋だったPS2の7ではなくて亜流だったPSの2000開幕版を買わざるを得ないという時代もあったりした。

その後、就職、結婚、子供誕生があっても、ほぼ選手データのためだけにまだ買い続けている自分。若い頃は他になんか趣味ねえのか、と言われると口ごもってしまう状態だったが、さすがに今となってはそんな事も無く、かつ新作を買えばそれにベッタリという訳にもいかず、それを長時間続けられる集中力ももう無い。

今回のデータ掲載も休みの日は子供をプールに連れて行ったりだの、食料品の買出しに車走らせたりだの、ファミコン世界大会で遊んだりだの、片手間に色々やりつつのデータ掲載作業。入力自動化の調整もなかなかうまくいかず、途中で酒飲み始めたら手が疎かになってきて途中で放置しそのまま就寝、翌日また何かの片手間にぼちぼちやる、というような有様。実際にパワプロのゲームで遊びたくて買ってる人と比べたら、情熱はめちゃくちゃ薄いと思う。

でも、だからと言って完全に買うの止めちゃうのも何か違う。という感情はまだある。それがある限りはたぶん買うのやめたりはしないんだろうなぁ。と思いつつ、今小1の子供がもっと大きくなって親父がこんな事やってるの見られたらどう思うだろう?ともちょっと考える。「パパキモい!!」とか言われるなら逆にまだいいが、「パパすごい!」って思われちゃったらそれはそれでヤバいような・・・。

盛ってない者なのに必ずといってよいほど衰えつつ

昨年は、阪神が38年ぶりに日本一になりつつも、自分には何も災難が降りかからなかったという奇跡的な年になった。

・・・と思ってたが、今年に入って徐々に暗雲が立ち込め始めた。
仕事が2年前ほどではないがそれなりに忙しいし、ちょっとした家庭内トラブルも発生。しかも阪神も去年が見る影がないほど弱い。今年は今のところ正直「これは良かった」と思える事がほとんど何もない年になってしまっている。渋みの中で甘みを楽しもう、というスタンスでないとやってられないような、そんな感じ。

唯一の光は、今年から小学校の子供が特に問題なく学校に通えている事。
保育園から小学校への生活の変化が正直かなり不安だったが、これだけは杞憂に終わった。

デフォルト選手データ集は・・・まあ、それなりにぼちぼち。

トラウマ解消

パワプロ2024-2025が発表された。
パワプロは今年で発売30年経つが、うちのサイトは開店休業に近い状態ながら、今年9月で開設から26年になる。開設時点では4年間のブランクがあったので「4年の内の1年」と随分と後追い感があったが、今となっては「30年の内の26年」なので、「ほとんどタメでいいよね~」みたいな感じに思えなくもない。何書いてるかよくわからないが、今作もちゃんとやる事はやる。気力があれば長年温めているプラスアルファもやりたい。

それは置いといて、もはや古い話だが、昨年は阪神が日本一になった。
30年来の阪神ファンであり、昨年は仕事が大して忙しくもなかったのに、なぜこの話題を避けていたかというと、過去のトラウマが回避されたという確証が得られるまで述べたくても述べられなかったから、である。

過去さんざん述べたが、人生で過去に阪神が優勝したり日本一になったりした年は、必ずと言って良いほど災難に見舞われた。

【1985年(4歳):優勝・日本一】携帯用の折りたたみ椅子に何かの弾みで唇を挟んでしまい、1針縫うほどの大けが。

【2003年(22歳):優勝・日本S敗退】就職氷河期最終年+自身の堕落生活のせいで大学卒業と就職危機に陥る。最終的には卒業も就職もできたが、綱渡りのような年だった。

【2005年(24歳):優勝・日本S敗退】就職先は自分のスキルとはまるで合わない職場に無理矢理飛び込んだ事と、待遇の悪さ、休日の少なさに耐えきれず1年足らずで退職。次の就職先がない状態で勢いで退職したので、2ヶ月間も無給で転職先を探すハメに。(最終的に就職先は見つかり、19年経った現在も同じ会社に勤務している)

これ以外にも修羅場になった年はあったのだが、自分が生まれて以降に阪神が優勝した年は必ず何かしらの災難事が起きていた(今振り返れば自業自得な部分もあるが)ので、昨年の阪神の快進撃には正直恐れ慄いていた。

またタイミングの悪い事に、昨年は齢41にして運転免許を取った年でもあったので、阪神がこのまま優勝したりなんかしたら「その内車の運転で事故を起こしちゃうんだろうなぁ」「仕事でまた面倒ごとに巻き込まれちゃうんだろうなぁ」と、勝手に思ってしまっていた。そのために優勝しても心から喜べず、どうせ日本シリーズはボロ負けだろう、と思ってたら7戦目までもつれ、それでも「2003年みたいに負けるんだろうなぁ」と思ってたら勝ってしまったものだから、さらにトラウマに対する恐怖心が大きくなった。

それもあり、直近で一番トラブルが発生し得る可能性が高かろう車の運転には極力気を付け、仕事も負荷が低いながらも手を抜かず、トラウマに対する「あがき」をした。どうせ、また何か災難降りかかるんだろ?と、阪神日本一達成以降は、生活そのものを疑って掛かって過ごした感が否めない。

が、結局2023年12月31日23時59分59秒まで個人的には「災難」と感じる出来事は何も起きなかった。ついに、阪神が優勝・日本一になった年に、自分には何も辛い事は無かった「実績」が出来たのである。

今年は優勝できるかどうか分からないが、もし今年阪神が優勝してくれたら、今回は素直に喜ぶ事が出来るのではないか、と思う。

SINと自動車免許のおはなし

先月24日、遅ればせながら41歳の春(バカボンのパパと同年代)にしてついに運転免許を取得した。

昨年12月、修羅場だった仕事が終わった直後から動き出したのだが、平日は仕事帰りの1~2時間しか時間がなく、土日は体力的にいずれか一方の曜日のみしか出られず、時期的にも技能の予約も中々取ることが出来ず・・・と遠回りの連続。試験は全て一発合格だったが、結果的に動き出してから5か月も掛かった。

自動車学校では、周りは当然ながら学生だらけ。自分が社会人になった年(2004年)に生まれた子もワンサカいた。そんな若い子からすれば、なんか一人白髪交じりのオッサンがいるなぁ・・・。免取にでもなったんでは?と、さぞ気味が悪かったであろう。

ちなみに自分の通った学校では、ATが85%、MTは15%くらいだった。当初は子供の頃に親からさんざん言われた「免許なんかMT一択」「ATなんて有り得ない」という「金言」を元にしてのMT希望だったが、入学受付の時点で「MTは難しいですよ?」「MT車は今や全体の1/3しか走ってないですよ?」とAT限定をわざわざ勧めて来たほどだった。自動車学校の効率の都合もあったのだと思う。挙句の果てに親まで「今はATやで!」と言われ、結局AT限定で手続きした。

自動車学校の教官すら、自分より年下かほぼ同世代の人もゾロゾロいる始末。年上もいるにはいたが、遥か年上ではなく、3~4つ上程度の人ばかり(1人だけ白髪のおじいちゃんのような先生もいた)。中には自分より1歳上で子供の歳も自分の子供と1歳違い、なんていう教官もいて、担当になった時はほぼツレとのドライブに近い状況で教習中はほとんど雑談ばかりしていた。

学科や技能に合間に鳴るチャイムも「チャイムによって動かざるを得ない状況」自体が大学時代以来約20年ぶりだったので、その点でも懐かしくもあり、ある意味新鮮だった。年齢のせいなのか、時代的にそうなのか分からないが、教官は基本的に優しい、というか特に怖いと思わせるような人は全くいなかった。

そもそも、この歳になるまで免許を取らなかった、というより取れなかったのは、それなりの事情がある。状況が叶えばもっと若い歳で免許が取りたかったが、少なくとも人生的に30歳まではまず取れる状況にはならなかった。

大学時代、大学のすぐ近くに自動車学校があったため、条件さえ整えばすぐ取れるような環境だったが、当時親からの援助は家賃が精一杯で他の生活費は全てバイトで賄うような状況。金銭的に親に要求する事も出来ず、平日は大学→バイトで帰宅が21時。土日祝は朝から晩までバイトでこれまた帰宅が21時。自由時間は深夜しかなく、金銭的にも時間的にもとてもじゃないが通う事は不可能だった。

社会人になると親からの援助はゼロになり、さらに奨学金の返済も始まって数年間のうちはあまり大学時代と変わらないどころか、大学時代よりも酷い経済状況が続き、しまいには親の経済状態も危機的になりこちらが援助に回るなどしていたため貯金もろくに無く、この時代でも取る事はできなかった。(ちなみに奨学金は今も返していて、来年10月でようやく完済となる)

そんな中で今の嫁さんと出会ったが、当然車がないので移動は全部電車。そもそも2人ともインドア趣味なので外に移動する事すらあまりなく、デート=家で遊ぶ事がほとんどだった。(嫁さんはこの時点で一応免許取得はしていたが、この時代から今まで10年以上運転歴なし)

そんなこんなで30歳でようやく結婚し、少し金銭的には余裕が出来てきたが、貯金額がある程度溜まるまでは子供はやめておこう、という方針や、中堅どころになり仕事もそれなりに多忙になってきたため結果として取らないままズルズルズルズル・・・という状況だった。(今にして思うとこの時代に無理してでも取っておくべきだった、という後悔が今はある。この時代でもすでに十分遅いが)

流れが変わったのは、ベタな理由ながら子供の誕生と成長。
赤ちゃんの頃は自転車でも何も問題ない、と思っていたのだが、成長するたびに不都合が出だし、真夏や真冬や大雨の中で自転車漕いでの移動がだんだんキツくなってきている事を感じ、昨年3月頃にはついに免許取得を決意して動き出そうとしていた。

が、昨年は4月から10年に1度くらいしかないほどの炎上案件に放り込まれてしまい、免許どころかまともな時間に家に帰る事すら叶わず、結果として年末まで先送りとなった。それが終わった後、年末から現在までは仕事が近年稀なほど落ち着き、もうここを逃したら次は無いというタイミングがようやく来たため、即座に取得に向けて動き出し、免許取得まで至った。

今月17日にようやく車も手に入れたが、基本的に土日しか乗る機会はないため、まだ移動手段が自動車になって実質2日しか経っていない。ただ、その2日間で既に異次元の感覚を感じている。今までの生活は一体何だったのか?何で今まで免許取らなかったのか??という後ろめたい気持ちも少しある。

まあ、過ぎた事を今さら言っても仕方がない。子供が小学校に上がる前、自転車には載せられなくなる直前で何とか車で移動できるようになったのだから、ギリギリセーフ?

※ちなみにこのお方も運転免許を取ったのは現役引退後、41歳の時らしい。
しかも親父と同い年で生年月日も5日違い。自分とも誕生日2日違い。妙な縁を感じる。

失われた1年

昨年(2022年)は、「とにかく仕事しか記憶がない1年」というほど、仕事しかしてない年だった。

1月~3月はテレワーク主体だったものの「土曜日も作業せよ」という状態のプロジェクトに放り込まれ、4月~11月は「スケジュールに余裕ないけどとにかく早く作業せよ」という状態のプロジェクトに放り込まれ、十数年ぶりに残業100時間超も記録。心身共に疲れ果て、精神的にも病み、家族はほぼほっぽり出し状態。知らない間に、子供は4歳から5歳になり、知らない間にベラベラ喋るようになっていた。まともに家族のコミュニケーションが取れたのは12月中だけという有様。正に「失われた1年」である。暦の上では(?)本厄の年。にしてもあんまりな仕打ちではないか??と思えるほど、辛い事ばかりが続いて何も良い事がない一年だった。

パワプロデフォルト選手データ集の作業効率化は昨年4月中に終わらせ、非常に楽になったのだが、その次の段階の作業が去年の炎上仕事のせいで全くもって進まず、昨年12月になってようやくぼつぼつと進みだした有様。

今年9月でBASELESS PAGE.は25年。デフォルト選手データ集は今年10月で23年。あと一回くらいは何か大変身してから、落ち着きたい。

 

40歳、もがく

昨年秋ごろから半年掛け、夜だけの時間を使って「より楽に、より正確に、より早く」を目標に掲げて、ちまちま作ってきたOpenCVによるテンプレートマッチングによる新しい方式のデフォルト選手データ入力。炎上仕事に放り込まれ、土曜も仕事するような状況が続く中、どうにかパワプロ2022の発売に間に合わせた。

「デフォルト選手データ集」は開始から17年近くほぼ全て手入力作業だったが、体力の衰えと時間的制約の面から2018年から試験的にOCRによるデフォルト選手データの入力を模索。これでもそれなりに負荷軽減はできていたのだが、フリーのOCRドライバでは限界があるのか、入力間違いがあったり、処理に時間がかかったりと問題点が多くあり、最終的には手作業によりデータを仕上げざるを得ない部分が少なからずあったため、4年近く騙し騙し使ってきたものの、手作業によるフォローを無くさない限りは、もっと年齢を重ねてもっと体力や時間が少なくなれば安定した編集ができなくなると危惧していた。

今回用いたOpenCVは非常に優秀で、事前にテンプレートさえ用意すればほぼ正確に内容を認識する。テンプレートの事前準備はそれなりに大変だが、テンプレート画像の切り出しはOCRでも用いていたため、かなり流用できた。

OpenCVのおかげで全体的な作業時間は2~3時間で済むようになり、手作業による補正は選手名程度。これならばまだ少しやれそうである。早くスマホ対応したい。

激動が過ぎる

昨日で結婚からちょうど10周年になった。

https://homebase.hatenablog.com/archive/2012/02/10

 

この10年(2012/2~2022/2)はこれまでの人生の中であまりに激動だった。

・2012年 嫁さんの祖母(結婚式にも出てくれていた)が亡くなる。

・2013年 東京へ3週間も出張。

・2014年 自宅の騒音がひどく、1度目(自分自身は4度目)の引っ越し。

・2015年 なし

・2016年 嫁さんの叔母(結婚式にも出てくれていた)が亡くなる。

     他の人が炎上させていた仕事を丸投げされ、3か月残業しまくりに。

・2017年 子供誕生。

・2018年 家購入。2度目(自分自身は5度目)の引っ越し。母親再婚。

・2019年 令和元年。自分の祖母(結婚式にも出てくれていた)が亡くなる。

・2020年 新型コロナウイルス蔓延。

     嫁さんの祖母(結婚式にも出てくれていた)が亡くなる。

・2021年 新型コロナウイルス蔓延。久々に炎上仕事に放り込まれて残業しまくりに。

 

・・・こうして書くとあんま大したことなさ気に感じるが、特に子供が生まれてからの3年間は明らかに濃厚すぎる。

たぶん、これからの10年は子供絡みでもっと濃厚な事が起きそうな予感がする。