節目

阪神・淡路大震災から15年。震災後に神戸で生まれた子も、もはや中学3年である。
震災当時中学1年だった自分も、三十路間近。決して短くはない月日が経ったが、未だ他の大地震に比べてニュースに取り上げられる頻度も注目度も高い。

そもそもこの震災が起きるまでの近畿地方は、「地震」という天災自体が、本でしか見聞きした事がないという人が殆どで、地震に対する備えがある人は皆無に等しかった。自分もその一人で、それまでは「地震」と言われても、一度も体験した事が無かったので、どんな事が起こって、どんな対処をしなければならないかと聞かれた所で、全く発想が出来ない状態だった。地震という天災は“歴史上の出来事”程度にしか思っていなかったのだ。

そんな地方の直下へ、戦後最大とも言える規模の大地震が襲ったのだから、この時点で甚大な被害が出るのは避けられなかったと言えなくもない。もちろん、その後の支援体制も前例が無かったせいか極めて不十分だったのだが、地域住民の地震に対する元来の危機管理が希薄だった事も、被害の拡大に繋がる一因となったのは否めないと思う。少なくとも、当時生粋の神戸市民で、現地で実際に震災を体感した自分はそうだった。多くの人が無知の状態からそういった実体験を伴ったが故に、自責の念と警戒心は通常よりも大きくなり、15年を過ぎても関心度は依然として高いのだと思う。

実際に大地震を体験した事がない人も「1月17日だから」という理由で、一時的に地震に対して注意を払う事なら、誰でもできる。ただそれも、実体験の無い人からすればやはり、“歴史上の出来事”でしか無い訳で、実感がどれだけあるのかと言えば、それは最早個人の意識の問題になってくる。

被害は軽微ながら、震災に遭遇した身として特に感じたのは、特に重要なのは地震の被害に逢わないようにするには、という事ではなく、地震の被害に逢ってしまったらどうするのかという事。いくら自分の周りだけは無事でも、他の家や街が無事じゃなかったら、最終的に自分自身も無事では無くなる。今の環境が壊れた時、どんな代替策を立てる事ができるのか?という事を想定し準備しておく事が、本当の地震対策ではないだろうか。