報道意識

中国・四川で大地震阪神・淡路大震災の30倍のエネルギーが動いたらしい。これは損害規模からしてそんな例えをしたのか、実際にそうだったのかは分からないが、1倍でも凄かったのに、30倍というんなら被害状況は地獄のような状態か。でも、やはり地域によって被害に差があるのか、同じ体験をした人の中で生活環境の格差も生まれている様子。

こうした大きな地震があった時にいつも思うのが、報道の在り方。
地震から数時間も経たない内にアナウンサーや記者が現地に入って状況をリポートするというスタイルが最近当たり前みたいになっているのだが、家族や財産を突然奪われて頭が真っ白になっている人の真横で「現地リポート」する意味が今もってよく分からない。まして当の被災者にインタビューする意図はいったいなんなんだろうか。そんな生の声を伝えなくとも、映像だけで当人たちの真情なんて十分理解できるんじゃないかと思うし、第三者も理解しなくてはいけないと思う。見せ物にされた側はたまったもんじゃない。国の問題はさておいて、最低でも「大地震」という単語だけで真情ぐらいは人として意識すべきだと思うし、好奇心としてそれを捉える事自体が間違っているのではないかと思う。

なんて書いても、これに関しては「分かる人にしか分からない世界」である印象は拭えないと思う。そりゃ自分だって生きてる内にこんな知識を身につけたくて身につけたわけじゃないが、最低でも体験した人間の意見を、体験してない人間に対して、大体であったとしても、どんな媒体であったとしても、頭のどこかに残っていてもらいたい。一過性の事件ではない。いつ自分の地域を襲ってもおかしくない出来事を、実際テレビを通じて目の当たりにしているという事実を認識しておいてほしいと思う。