ひねりっ子ちゃん

松本人志の放送室で、松本が発言した“硫化水素自殺”の件でちょっとした波紋。放送内容からして、松本の「ある意味ね?ちょうどええ時期にそんなアホが死んだら別に俺はええ」という発言が根本となっているような気がする。

確かに「松本人志の放送室」をつい最近から聞いたりしてる人とかにとっては毒のあるような発言に聞こえても仕方がないのかもしれない。本人としては、あくまで自殺という行為自体を批判した上で「こういった硫化水素自殺が流行っている時期に便乗して自分もやろうとする奴なんてアホだからどうでもいい」という意味を言っているつもりだったのだと、個人的には思う。

自分の意見としてもほぼ同じ。硫化水素自殺をした住民が原因で周辺の住民も病院に運ばれたりして騒動になっている所までそういったニュース番組で報道しているにも関わらず、それを実行するというのは、その遺族は別として第三者からすれば、自分の都合しか考えていないと言われてしまってもしょうがない。まして、マスメディアを通して全く面識もない第三者がその現状に触れるのだから、自殺行為をした個人の感情よりも、避難しなければならないような危険に晒された周辺住民に対して感情を抱く人が大半なはず。「自殺しよう」という決意に至るまでに受けた当人の仕打ちや置かされた状況に対して「可哀想になぁ・・・」と思うのは間違っていないし、特にその当人を知る人物がその空気を感じたのならば少なからずとも心の計らいを見せるべきだが、感情を踏み切った人間が自分の置かれた現状を打破する為に行った行為のせいで、結果的に周辺の人間が病院に運ばれたりする騒動にまでなってるんだから、倫理的な面はもちろん、社会的な面でも犯罪同然の行為、迷惑行為と見られてもこの場合は仕方がないと思う。

これは、自殺に思い至るまでの経緯に対して第三者が思慮するのとは全くもって別の次元の話だし、“硫化水素自殺”という単語でギャーギャー言う以前に、“自殺”自体がそもそも誰かに確実に迷惑を掛けるし、誰かを確実に悲しませる行為という根本が忘れ去られ、自殺によって奪われる命に対して“尊さ”の感情が向けられすぎている。「自殺するほど辛い思いをした人に対して“アホ”だなんてっ!!」という思いだけが走ってしまっているのではないか。それで、その人間が自殺したせいで起きた周辺住民の傷害を正当化してしまっていいのだろうか。

「放送室」自体は放送開始直後(第9回「け」の回)から聞いているのだが、今回のような「ニュースをブーム化するな」という類の発言自体は数年前からこの放送室でたびたび出てきているし、今回も再確認するつもりでそういった話題を取り上げたんだと思う。それがこうしてひねられた形で取り上げられたということは、やはり知名度が放送開始当初から比べて上がって来たのか。