人、人、人がいる

学生はまだ正月気分が抜けないかもしれないが、社会人としては世間的にもようやく正月気分が抜け、「ぁあ。仕事ね・・・。」という感じになってきた。この時期に迎える“仲間意識”っぷりの感じは、個人的に喜ばしい。

しかし、26になった今になって思うと「学校行くのしんどい」という不満がいかに贅沢なものか、思い知らされる。
社会人になると、“労働”という形で基本的に毎日何らかの形で何かを生み出さねれば、普通はそれで居られない。「学生」というのは、こういった人間になるための術を学ぶ過程の身分であり、基本的には社会に何かを生産する義務を持たない。もちろん自分をとことん高めてもいいし、『右にならえ』の意識で他人と同じようになりたかったらそうなればいいし、それにすらなるのめんどくさかったら別にサボったっていいんでっせ?(後どうなっても知らんけど)という岐路を突き付けられている世代である。

アイドルとかスポーツ選手は、当初個人レベルで高めていた趣味嗜好が偶然的に社会に資質として認められて、実質“労働”として社会に生産性を求められる希有な存在であるが、大半は『右にならえ』でも日々を乗り越えられる。誰の目にも何かしらの形で残るような日々の「生産性」など無視し、自分のやりたい事をやっていても咎められない「学生」という身分は、ある意味“聖域”であり、不可侵さがあってこそ成り立つものでもある。

要するに「“進路”って言われても、受験や就職活動なんてまだ先だしぃ~」なんて言っても、今のうちに勉学面でやる事やっとかないと、将来進むべき道なんて限られるもんだよ。ということを言いたいのだが、大半の人は「これだけ勉強やりゃ、もうあとは遊んでもいいんだろ?」と思っている。「そこで終わってはいけない」という意識を、ちょっとでも持ってみる努力をしてみて損はない。学生時代の“勉強”なんて一見ムダに思えるかもしれないが、これが意外と、この他ないステータスとなる。騙された感じでやり始めてもいいんでは。