おっさん化メカニズム

学生の頃は平日のうち7時間の義務(=通学)と5時間の睡眠を取れば、残り12時間は自由時間。
今も、平日の内12時間(8時に家出て平均20時に帰宅)仕事すれば、残り12時間が自由時間ではある。
が、12時間の内7時間は買い物やら睡眠やら、今の生活水準を維持する為に使う。ほぼ義務に近い。
という事は、平日1日間の内19時間の義務をこなして、やっと5時間の自由時間が得られる事になる。
大まかな形でも数字で当てはめてみると、いかに学生の頃より自由時間が減ったのかが分かる。
こう考えると、働き出したらおっさん化が進むのは摂理なのではないかと思う。

昔と同じ気力を維持するには、限られた自由時間でやることの「濃度」が非常に重要であるから、
自然と使う金の量も増え、規模も大きくなってくるし、それをこなすだけの知識も必要になってくる。
それを「しんどいんじゃボケ!!」と思うようになってしまうと、結果として自由時間の濃度は薄くなる。
そうした「濃度への執念」を失う事が、“おっさん化”に繋がるのではないかと個人的に思う。

自由時間が短くなっても学生の頃と同じ濃さでいれば、時間が足りないせいでその内不満が起こる。
それ位の満足度で終わらざるを得ない毎日が続く内、段々とその満足度で自分を満足させようとする。
そして、その満足度でも完全に「満足!」と思うようになったと同時に“おっさんレベル”が1上がる。
それが長い間繰り返される内に、学生時代とは比べものにならない濃度で満足できるおっさんの完成。
おっさんに対する「あんなんの何が楽しいねん!!」という疑念はここに準ずるのではないだろうか。

労働者になれば誰しも、ある程度のおっさん化は社会的な常識としても必要になってはくるのだが、
年齢に見合って適度におっさん化しないと、“仮想”だと思っていた事がいつの間にか“実装”と化す。
一度下げてしまった満足度のボーダーラインを再び上げるには、予想以上に精神力を使ってしまう。
有効に、そして効率的におっさん化していかなければならない。