便りが無いのは

良い知らせ。というのは、便りをよこされる側にとっての無言のプレッシャーだと思う。
この夏やったことと言えば、8月上旬の嫁さんと伊勢神宮旅行ぐらい。あとはとにかく平穏(休みの日も近場ばっかり)だが、基本的に充実はしている。代わりに独身時代は盆の時期に特によく遊んでいた友人らとの交流はゼロになった。

というか、今年は意図的にゼロにしてみたと言っても良い。結婚後も友人らとは数回は会っているのだが、自分以外全員が独身のせいか、やはり話題の着眼点の違いを思い知らされ、こちとら今まで入り込めた友人らの話にイマイチ入り込めない。やれ○○をいくらで買った、株を始めてうんたらかんたら・・・と、年齢的に金を使ってどうした、という話題ばかりになってきていて、元々独身時代から大金に縁の無い人生を送ってきて、なおかつ結婚によって独身時代ほど自由に金を使えなくなった今、現実味のない話で話題に付いていけず、「ふーん。すごいね」としか言い様がない。逆に、自分の近況を話しても他の人間は未婚なので、「まあ、俺らは結婚してないから分からんけど・・・」という言い分で根底から状況を理解してくれない。こんな状況では、行く先々の情景ネタ以外で自分から話題を展開しても面白くなく、結果的に聞き手に回ってしまうことになる。それが何回も続くと、正直面白くない。それなら、わざわざ嫁さんと過ごす休みを潰してまで参加する意味はない、という印象に至らざるを得ない。金が有り余っている人間が大半のために晩飯も高いところばかりになりがちで、メシ代もバカにならず、小遣いに大打撃を受けてしまい、生活に支障も出てしまう。独身時代なら1食3000~4000円ぐらいなら何とも思わなかったが、今となっては重傷レベルだ。そもそも大前提として、意地とプライドが入り混った、金ばかり掛かる男同士の遊びに参加する魅力をあまり感じない。それなら、自分の嗜好がほぼ100%通る嫁さんと過ごす時間のほうが遥かに有意義だし、場合によっては金を掛ける必要もない。

独身時代に、既に結婚している友人を誘っても高確率で断られたのは、こういう背景があったからなのだと今は実感できる。当時は、なんでこのくらいの事に参加できねえんだよ!?と内心イラついていた所もあったが、今ならよく分かる。その気になれば今までどおり参加できるが、家族や親族の心証を考えると、そうそう不用意な行動を起こすわけにはいかない意識に置かれる(に加え、自由な金も限られている)から、都合が付きそうな状況でも「参加できない」ではなく「参加しない」というジャッジを下す事に繫がる。

他にも結婚する友人が現れて、家族単位で遊びの場を持つ時が来れば、独身時代と同じように楽しめると思うのだが、誰か結婚する友人はいないものか。