インフレ?

違います監督「インフルエンザ」です。

それはさておき、運営開始から11年9ヶ月(4297日目)でやっと、BASELESS PAGE.300万アクセス達成
10年前ならば、“おかげさまで100万ヒット!”という数字を見せ付けられただけでも「すげえ・・・」と思ったものだが、当時と比べ物にならない数のネットユーザーが溢れている今、もはや「億」単位まで行かなければ多勢の目を引かないほどインフレ化が進んだ。個人のサイトでさえ、掲示板やWikiなどのまとめサイトならば、数千万アクセスあるようなサイトなんてザラにあるような時代に、「300万ヒット!」とか言われても「は?」みたいな感想しか持たない人が多いと思う。というよりそれ以前に、アクセス数でお祭り騒ぎしようとかいうノリ自体が古典的なのかもしれない。

が、そうは言っても自分は曲がりなりにもネット黎明期(1997年)から活動してきた身。
「自分のサイトに1人でもアクセスしてくれる事」に対する重みは、未だに大きいものだと感じる。今流行の考えに置き換えると、「自分のTwitterを初めてフォローしてくれた人に対する存在感」にたぶん似ていると思う(自分でも良く分かってないが、多分そんな感じで合ってると信じたい)。ましてや、Twitterやブログよりも準備も手間も掛かる“サイト”という発信形態で、しかも殆ど更新してないにも関わらず、毎日500人以上が観ているというのは、未だに個人的に奇跡なんじゃないかと感じるほど。つまり、12年もやっててもなお自分が発信しているコンテンツの完成度、訴求度に対して満足が行っていない(自信がない)のである。ただ同時に、そんな感情がある内はまだ「今より良いものを作って観てもらいたい」という向上心があるのだから、それならばまだまだサイトを辞める訳にはいかないな、という事にも繋がるのだと思っている。

自分は、Twitterみたいに「小出しの連続」では『めんどくせぇ』『軽すぎる』と感じ、ブログのような「定型空間」では『物足りねぇ』と思う。自分の考えだけで作ったキッチリとまとまった固まりをドーン!!と晒すスタイルの“サイト”が一番性に合っている。だから、300万アクセスでも大喜びするし、こんな長文を書いてしまったりする。人の「すげえ・・・」と思うような基準は、人それぞれで良いじゃないか。

ちなみに、「地元で一人暮らし」では過去にxxx万アクセスを達成した日の記事が残っている。どんな事を書いてたのかと言うと。

  • 100万アクセス達成時(2004年6月25日「#91 - イッちまったか・・・」
    • 「次に200万ヒットを達成するのは、2010年3月27日」(→ 結果は2007年4月13日に達成)
    • 「2010年まで生きているのか?」(→ 生きてます)
    • キャピ子なんてやってる場合じゃない(→ 今年4月、正式に“終了企画”扱いに)
  • 200万アクセス達成時(2007年4月13日「#1079 - 達成」
    • 「300万ヒットを達成する日が果たして存在するのか」(→ 存在してます)

・・・などと、無茶苦茶な事を書いている。
400万、500万アクセスがある頃があるとすれば、今日の記事もまた「何考えてたんだ俺は・・・」と思うだろう。