脱“ゆとり”教育

NHK特集を見ていて思ったが、そんな単語が成立しないといけないようにした奴は、謝るべき。

“ゆとり”って、せわしない物事や社会を体感した人間が、その中で個々に“自分の世界”を見つけたり作れたりした時に使う単語じゃないのだろうか。それを、自分の個性もろくに把握してない子供に「はい、これが“ゆとり”ですよ~」と“総合学習”という個人の意識に委ねるような時間を与えるのは、間違った社会を教えてるのと同じ事なんじゃないか?

酒やタバコを嗜むのと同じで、ある程度の常識と責任を負える立場になれた人間が、初めて体感できるものこそ“ゆとり”ではないのだろうか。“ゆとり”≒“安らぎ”“余裕”という認識が一人歩きしたのか?