老いていく場所

実家に贈呈したパソコンが修理から戻ってきたものの、「あれがわからん」「これがわからん」と母がさんざん電話掛けまくってくるので、当分口にしてなかった“揚げ物系”を食わせてもらう事を条件に、実家に帰って色々と調整する事になった。

途中、材料のうち卵を買い忘れたことに気がつき、実家に帰る道すがら、とあるスーパーに立ち寄った。
小学校入学前までは“スーパー”といえばここしかなく、頻繁に買い物していた場所だったが、大型スーパーが程無くして出来たためにそちらへ流れ、以降立ち入る事がめっきり減ってしまった場所。そこへ、小学校時代(1988年~1994年)以来、約15年ぶりに訪れた。

 ・・・電気が異様に暗い。

 ・・・野菜・魚・肉コーナーの品揃えが異様に少ない。

 ・・・客、自分のほかにお菓子をどれにするかではしゃいでる小学生ぐらいの女の子3人だけ。

 ・・・店員、レジのおばちゃん1人だけ。

正直「なんじゃこれ」と口に出てしまいそうになるほどの寂れ方。
小学校時代には買い物客で賑わっていたし、店内も明るかったし、店員もたくさんいた。店の前にはガチャガチャもたくさん置いてあったし、そこで何度もビックリマンの“ロッチ”シールを当てては「これもビックリマン」と自分を納得させた。そのスーパーの近くの文具店に置いてあった「ストリートファイターIIダッシュ」の観戦のために、ここで小遣いの中からやりくりしてよくお菓子も買った。そんな色んな思い出があるスーパーが、今はこんな状態。

まあ、ぶっちゃけ、小学校時代以降になって一気に大型スーパーもたくさん出来たし、小学校当時1軒しかなかったコンビニもアホみたいに出来たし、揃うべくものは高校時代までに殆ど出来上がった。もう「毎日の買い物といえばここだけ」なんていう環境ではなくなってしまっている。一人暮らしを始めて実家のある土地を離れて以降、その傾向がより顕著になっているのも何となく感じてはいたのだが、実態を目の当たりにしてしまうと、思い出からの乖離があまりに激しすぎて、やはり寂しさを感じてしまう。現地に住んでいる者からすれば全くと言ってよいほど自覚はないだろうが、土地を離れた自分にとっては、明らかに町が老いていると捉えざるを得ない。