どこかで五十路

親父が今日で50歳の節目を迎えた。自分の誕生日もちょうどあと一週間後に迫っている。

あと一週間で26歳の自分の父親が今日で50歳。世間的に見ればこの年齢はかなり若い方かもしれない。
ただ、自分から見れば「親父も老けたなぁ・・・。」と思うのは他人と大差ないものの、それ以上の感情を抱くことはなかったりする。向こうは向こう。こっちはこっちと、あくまで線引きがある。互いにその領域に踏み入れて寄ろうとする態勢も取らない。例外的に自分が「敢えて歩み寄る」形で、親父と年単位で不定期に会うぐらいである。

自分と父の現在の関係は、昔、家にあったような“二層式洗濯機”(洗濯層と脱水層が分かれている洗濯機のこと)的な感じである。あっちはあっち、こっちはこっち。時々受け渡しはあるものの、基本的には個別に個別の居場所を持って生きている。今日、親父が50歳を迎えても、“そんなの関係ねぇ!”とまでは行かずとも、“大して関係ねぇ!”ぐらいの意志表示に止まるのが事実。