なげぇよ

2006年もあと7日。1年間がここ数年、あまりに早すぎる。

子供の頃は、年末が近づく度に親が「今年も早かったなぁぁ~」とぼやく意味が全くわからなかった。
「どこがじゃ!!今年、俺どんだけ大変やったと思っとんねん!!」と、奥底ではつくづく思っていた。
今から思えば、あの時に体験していた“1年間”こそが本来の1年間の長さだったのかもしれない。
1年間を生きるのにぶつかってくる様々な課題を、予め大人が取り払ってくれていたおかげで、
自分たち子供は、大人から押さえつけられ制限された世界だったとしても、1年間をフルに感じられた。

今、ぶつかってくる課題を片付けられるのは基本的に自分の力のみ。親の力は最後の最後の切り札
1年間フルに使って1年間を感じられていたのが、課題を片付ける事に時間を取られるようになった。
1年を感じる事を許された時間が短くなる事で、飛び飛びでしか1年を感じられなくなって、早く感じる。
2月になって「あ~もう2月かぁ・・・」と感じた次の“1年”が、7月の「あ~、もう7月かぁ・・・」。
その次は10月、そのまた次が12月だとしたら、1年もたったの4ヶ月にしか感じられなくなる。
つまり残りの8ヶ月は、課せられた課題をこなす事に精一杯で、1年を感じる余裕など無い、という事。
これが当時親がぼやいていた「1年って早いなぁ」の根源なのではないか、と最近思うようになった。

特に高校生・大学生は、今こそ何も意識しなくても1年間の長さを感じる事ができる二度とないチャンス。
「1年って・・・なげぇよ!!」と思える内に、その「なげぇ」時間を使って色んな事をやってみる。
自分に一番ビッタリ来る何かを見つけるまでは、何でもかんでもとにかく体験してみる事が大切。
ビッタリ来るものが見つかれば、今度はそれを途中で投げずに極めてみる。これが最終的には、
学校でさんざん言われ続ける「進路」のカギ、もしくは「進路」そのものになる。

一見ヘラヘラダラダラしてる友達も、ある場所では真剣な顔で何かに取り組んでいるかもしれない。
「こいつもバカだから、俺もバカでいいや」の考えでいると、ある日、急に置いてけぼりにされる。
それぞれが違う道に進み、自分一人になっても「ま、俺にはコレがあるか」と思える事を見つける。
それこそが「なげぇ1年」が比較的連続する学生に与えられた大きな課題。