認めたくない法則

阪神強い。2003年ペース。
阪神戦飽きた」という石井一久も、あっけなく(でもないか)打ち砕いて快勝。

しかし、よく考えてみると阪神が優勝する年に限って、自分に大きな苦労事が降りかかっている気がする。
過去の例を紐解いてみると・・・。

  • 1985年(保育園:当時3→4歳)
    • 折り畳み用のイスで唇を挟んで、1針縫うケガ。(⇒その後、特に遺恨も後遺症もなし)
  • 2003年(大学4年:当時21→22歳)
    • 受講制限+研修旅行で例外的に取得できる単位を全て取らないと留年決定の状態に。
      (⇒追試までもつれこんでギリギリ全60単位取得し、卒業)
    • さらに、そんな中で就職も探さなければならない。
      (⇒12月に知人のコネで決着。その後問題だったが)
    • さらに、研修旅行にも30万近い金が必要なため、バイトもろくに休めない。
      (⇒大学の貸与でどうにかその場は乗り切り、授業の少ない日はバイトも普段より多く出て全額自分で返した)
  • 2005年(社会人2年目:当時23→24歳)
    • 前述の、コネで入った会社の体質があまりにもひどかったので、転職する事に。
    • 事前に転職先を探しておけばよかったのだが、短期間のうちに関東に転勤させられる危険性があったため、転職先が見つからないまま退職。
    • 退職直後、その会社が自分が入社した時から今まで厚生年金を掛けていなかった事を、市から送られてきた通知で初めて知る。
    • 転職先も1ヶ月の間見つからず、金もどんどん減っていき、ついには一人暮らし強制終了の危機に。
      (⇒その直後に転職先が決まり、事なきを得る)
  • 2008年(社会人5年目:26→27歳)
    • (ここでは書けないが、異なるタイプの苦労が2つほど、自分の背中に乗ろうと伺っている。とはいえ、2003年・2005年ほど危機的な話ではないが)

・・・まあ、2003年と2005年の場合は、大学1~2年時のサボりっぷり、遊びっぷりがそもそもの原因なので、あんまり阪神優勝は関係ない。そして、全ての件において最終的にはほぼ問題なく年内で解決している事ばかりではある。でも、今年のはどうだろうか。