捨てる年月

ニート、フリーターが扶養控除の対象から外される案が打ち出された。
こうなれば親も明確に子供に対して働く事を促す理由にできる。という事だろうか。
フリーターはまだマシだが、ニートに対してわざわざこんな対策までしないといけないのがバカらしい。
大学3年の時の就職ガイダンスで聞いた「働こうと思えば仕事なんていくらでもある」という言葉が、
そっくりそのまま使えるだろう。中には一度は就職を試みて脱落した者もいるらしいのだが、
仮にそうして失敗を経験しているのであれば、それを自分の評価の限界と思って割り切るべきである。
いくら高学歴でも、いざ社会に入れば自分がやりたい事を最初からさせてもらえないのが当たり前。
自分が会社に入った時点で、会社全体は自分が思ってるより遥か上のレベルの物事を動かしている。
いくら学生の時に研究に研究を重ね、知識を培っても、社会ではそれは常識として片付けられる。
自分の力を生かして何を生み出せるか、いくら頑張っても社会はそれだけしか評価してくれない。
これなら誰にも負けないと思っていた個人的な武勇伝は、会社の同僚の飲み会のネタにしかならない。
過去の事なんか知らん。ていうかお前は現時点で何が生み出せるんだ?という扱いからスタートする。
誰にも「こんな事をやってる自分が信じられない」と思いながらも従順する時期があるもんである。
そんな鉄槌を受けずして、最初から自分のやりたい事ができる仕事がしたいという考えが甘すぎる。
やりたい事ができるようになるのは、その何倍もやりたくない事をこなした後の話である。

自分が働けないのを社会のせいにする人間もいるが、それはどう考えても間違いだし、恥ずかしい事。
自分が頑として譲らない部分を壊してしまう事がイヤなだけ。捨てる所を捨てれば何でもできるはず。
自分を捨てたら一生捨てっぱなしで行く、とか余計な事を考えてるからいつまで経っても踏み出せない。
その「捨てた自分」で培った経験を、数年後に自分のやりたい業界に転職する時に売り込めばいい。
「あー、今年はもう“捨て”だな」と思うぐらい思い切らないと、いずれ“捨て”ても間に合わなくなる。
一つの修行だと思って、一年ぐらいは「自分じゃない自分」を演じてでも就労経験はすべきだと思う。