命の授業

「みんなでブタを育てて、卒業する時はみんなで食べよう」という授業をした教師がいたらしい。
当然みんなで育てれば愛着が湧く。「殺すなんて可哀相」という意見も出る。これも想定の範囲内
ただ、その一連の感情移入が教師の思惑通りに進んだとして、その教育自体の意味はどうなのだろう。
「みんなで育てよう、で、最後は食べよう」と言った時点で、「結局最後は食べるんだ・・・。」とか、
最後の結末を先に考えてしまって、育てている時の感情を別の意味で取る人間だっていると思う。

個人的に「ペット」という概念を認めていないフシがあるので、余計にそう思うのかもしれない。
食用として動物が扱われるのは仕方がないが、観賞用として動物が扱われるのは納得がいかない。
人間が不快に思わない様に「しつけ」と称して色々行動を制限して「この子は私の事が好き!」と言って、
人間が愛着を持っても、動物側はそれを心底で不快に感じてるか、感情を削がれ機械的になっただけ。
動物側を従事させる事を前提にして初めて動物を「家族」として扱うという文化が正直納得できない。
人間は人間。動物は動物。お互いに感情を持つのは勝手だが、それを無理やり一つに纏めなくても。

この授業を受けたのは、自分に近い世代(小学校1992年度卒らしい。自分は1993年度卒)。
この授業に対して、正直どんな印象を持っていたのか聞いてみたい。