高橋名人を思い出せ

小中学生の15%が「死んだ人は生き返る」と思っているらしい。
小4で14%。小6で13%。中2でなぜか18%。何でここで上がるんだろうか。

自分たちが小学校(88~93年)の頃に「ゲームが及ぼす悪影響」として、同じような題材が扱われた。
ドラクエなどのRPGなどの人気過熱で、「死ぬ」とか「殺す」などの感覚が麻痺する恐れがある”と。
そんな渦中にいた自分達だが、少なくとも自分の周りで「死んだ人は生き返る」という発想をする者は、
誰もいなかった。これはやはりゲームをするにも親の監視下で、時間も計られていた家が多かったから。
高橋名人の名言“ゲームは1日1時間”を忠実に守らされ、破れば鉄拳が飛ぶ、またはゲーム機破壊。
乱暴に言えば、そういった怖さを知ることが「死ぬ」「殺す」事への罪悪感を生む布石の一つにもなった。
しかも自分の頃は、「ゲーム」=「ファミコン」。8ビット(PS2の16分の1)は現実と明らかにかけ離れてて、
逆にそれが現実と虚実の差別化を判断させる事にも繋がったし、あくまで“遊び”として捉えていた。
テレビゲームという概念が無い自分達の親は、没頭するのを見て今の自分以上にそう思ったからこそ、
あれほどまで目くじらを立てゲームで遊ぶ事を制限したのかもしれないが、正直に言って当時の子供は、
親が心配せずとも、きっちりと現実と虚実の分別は付いていたように思える。こういった指摘は、
むしろ今こそ最も重要視されるものであるはず。

ゲームが現実に近い完成度を誇る今では、遊ぶ側もそれを虚実と判断できる資格が必要な気もする。
それこそ、たばこや酒のような存在価値を与えて、未満の者にはそれなりの完成度の物で我慢させる。
もしくは、幼稚な発想をやめて思いっきり大人向けのゲームしか出さない。このどちらか。
今の完成度のままのゲームを「おもちゃ」として子供に遊ばせるのはあまりに危険すぎる。
拳銃で撃たれ流血しながら死んで行く場面を、“達成感”として捉えさせるのは「おもちゃ」なのか?