教訓は生かされず

違った映像が見れるし、各個人に合った報道の体裁もあるので、全局が特番を組むのは構わないが、
被災者に対してインタビューしている映像を流すのは、あまりにも被災者に失礼ではないだろうか。
片や被害に遭って精神的にも不安な被災者、一方で現地に来ても救出よりも報道を優先する取材班。
情報通達の為に被災者に取材するのはやむを得ないが、その模様まで公に見せる必要はないのでは。
質問されている側も、不安を打ち明ける事で多少は安堵する事もあるかもしれないが、大半の場合は、
安全な場所に避難して、身の安全を確保したいと感じている人ばかりで、かまってる余裕などないはず。
まして報道陣も現地に出向いているのであれば、人として報道よりも救援活動を最優先するべきである。
東京から現地へ出向いて、1時間掛けて現地から現状報告しただけというのは、野次馬と同じである。

被災者も傍観者も情報が一番の薬。映像や文字による被災地現状、生活に関する情報が欲しい。
災害を題材にした被災者のドキュメントは、被害から復旧して長時間を経てから初めて活用すべき物で、
復旧から癒えないどころか、被害の把握もままならない状況下でそれを流すのはあまりに軽薄である。

阪神大震災時にも、倒壊した住居に埋もれ助けを待つ人に対して質問した後、何もせず立ち去るなど、
現地に入っても報道重視、あくまで傍観者的な立場で取材をした事が後に問題になり、批判もされた。
現に震災の被災者である自分も、メディアの第三者的な報道に対してはかなり不快な思いをして、
現地の生活情報ばかりを流していたサンテレビ(神戸ローカルTV局)を常時付けていた記憶がある。
今回の地震でも、こと報道に関しては阪神大震災の教訓はまるで生かされていないようである。

関連記事を第89回キャピ子で。