禁固Part2

勤労感謝の日

昔、実家に父がいた頃は、「間を取って」という理由で、よくこの日を父と自分の誕生日で一緒くたにされた。
まさか当時は、今みたいな状態になるなんて思いもしなかった。同時に、当時は普通の家で、普通に幸せだった。

今は今で、実家まわりに関して言えばそれなりに幸せだが、未だに決して普通ではない。いびつな形をしている。また、それを受け入れるまでに時間も要したし、それまでの間は確実に疎外感を感じながら生きていた。

そんな、歩かなくても良い道を歩かされる原因を作った父は、時間がある程度経ったので、今はあくまで人間としては普通に接する事ができるようになったが、父という目線ではまともに接する事は未だに無理だし、多分この先も不可能だと思う。もちろん尊厳も全く感じないし、感じてはならない。自分はそうあるべきなのが厳密に言えば正しい。直接的に自分に対して問題を吹っ掛ける事は無かったが、その分それを母が被った現実を、月日が経って他の局面から思い知らされ、別の点で結局自分も被る事になったのだから、なおさらだ。