住むだけなら

久しぶりに実家で寝泊りし、朝から実家のすぐ近くにある父方の祖父母の家(同じく団地)へ。

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こちらも相変わらず。じいちゃん(大正13年生まれ・85歳)、ばあちゃん(昭和6年生まれ・78歳)共に健在。
じいちゃんの“ライフワーク”と言うべき『工作』も続いており、また新しい作品が増えていた。(テレビの右下にある、「取替え式カレンダー」など)。ばあちゃんはばあちゃんで、携帯をそれなりに使いこなしているようで、「メールはよく分からないが、電話はよくする」との事。二人ともまだまだしっかりとしていて、非常に安心した。

自分の母校でもある、近くにある小学校では、偶然にも「秋の運動会」が開かれており、自分の「ふたいとこ」(父の姉の息子の子供)が出ているとの事だったが、それが終わるまで待っていると夕方まで掛かってしまうため、昼前には祖父母の家を後にし、自分の家に戻った。

今月で一人暮らしを始めて丸9年半が経ったのだが、正直、仕事もせずに暮らしていける金があるのなら、実家のような静かで穏やかな環境の地域に住みたい。という意識は、年々強くなってきているのが事実。今現在住んでいる地域もそれに匹敵する程の環境ではあるのだが、やはり長年暮らしていた実家のそれにはまだまだ並ばない。

静穏よりも利便性を追求するような住環境にしてしまうと、その内に体のどこかが疲弊してしまうような気がしてならない。特に睡眠時なんて、どうあがいたって自然に任せなければできないのだから、そんな時にまで他人や社会が出すような騒音が介入してくるのは、納得がいかない。