去年より君は綺麗になった

もはや3日後に迫る「8周年記念式典」の記事(といっても大部分使い回し)を作っていて思った。
開設当時に比べて、随分ネット環境も年齢層も変わったもんだなぁ。と。

今では小学生でもサイトを持つことは珍しい事ではないが、このサイトを開設した1998年当時は、
客層(?)の中心は大学生。高校生がちらほら。中学生はほぼ皆無に等しい。といった割合で、
サイトの管理人ともなると「高校生でサイトの管理人やってんの!?」という雰囲気があるぐらい、
全体の年齢層が現在より高く、当時のネットの普及状況もあるが、サイト開設に相応の知識も要り、
その知識を得られるような情報も少なく、それをローコストで表現できる場所も非常に限られていた。
だから、時間と金銭に余裕がある大学生がサイト管理人の中心で、余裕の無い高校生は珍しい存在。
そんな「珍しい存在」という扱いを受けるような状況下で、このサイトは開設された。という事になる。
同年代は皆無に等しく、交流する人の大抵は年上。が、今となるとこれは非常に良かったと思う。

年齢は二の次的なネットの交流よりも、逆に幾分のリアル感・緊張感の中での交流がメインだった事は、
学校での『先輩後輩』という関係と変わらぬ先入観を持って交流できる重大なエッセンスと同様だった。
今は、自己発信する事に達成感を感じ始める中学生の年代が、それを全国に発信できる場である、
『個人サイト』を簡単に持つ事が出来る時代。こうした世代の発信に歯止めを掛ける人物がいないと、
仮想的な支持かもしれない支持を「自分の思想は全国的に支持されている」と勘違いする恐れもある。
仮にそれが反社会的な思想であれば、これほど恐ろしい事はない。いわば「犯罪者の卵」である。

ただ、それを自覚せずまま発信する人間もいる。
それは大抵の場合、不完全な社会の達観で導いた答えを「正論」と装飾して発信した場合である。
やはり「危うい方向を向いたミサイル」を軌道修正する存在は、いつの時代でも必要であるだろうし、
若年層が簡単に思想を発信できる環境が十分に整っている現在こそ、よりそういう人物は必要である。
「危うい方向」はだいたいネット外の環境や要素で正しい方向を向くが、口頭での発言とは異なり、
自分が発信した発言は誰かが削除しない限り半永久的に不特定多数の目に触れるネットの世界では、
他人に触発されずとも自己完結の内に「自分の意見が正論」としてしまう人間が現れないとも限らない。
しかし、昔と違ってサイト間の棲み分けが出来て来ていて、それが明らかに年齢基準になってきている。
「迎合しない者=敵」という、若年層が管理するサイトでの縮図が管理人本人の人格に影響しないか、
少し心配である。

自分が開設した頃でも、自分らの世代はそんな危険性を危惧されてもおかしくない存在であったが、
現在は当時の自分と同じような立場に立てる年齢、精神資格の敷居が低すぎる気がしてならない。
だからこそ、なおさらそういった指摘が今後必要になるのではないだろうか。